王朝時代③
1802年、阮福暎はフエで即位し、年号を嘉隆(ザーロン)と改元した。
中央政府はフエに置かれたが、三つの領域に分けられた。
第一は北部ヴェトナムで、長官には大幅な自治が認められた。
第二は旧阮恵政権の領域と中部山地で、嘉隆帝政府が直接支配した。
第三はサイゴンを中心にメコン・デルタ全域が含まれ、長官の下で大幅な自治が認められた。
清国に朝貢していたヴェトナムだが、自身は隣国のラオスとカンボジアに朝貢と藩属関係を強要したため、小中華帝国と呼ばれることもある。
1820年、嘉隆帝が死去し、第四子が明命帝として即位した。
東南アジアの1920年代は、ヨーロッパの列強諸国による東南アジアの植民地支配・分割が開始された時期であった。1819年にはイギリスがシンガポールを建設し、24年の英蘭協定ではイギリスとオランダが東南アジアにおける植民地分割に合意した。
ヴェトナムもヨーロッパ帝国主義の拡張に飲み込まれていく。
参考文献
石井米雄・桜井由躬雄編『東南アジア史Ⅰ』山川出版社、1999
石井米雄他監修『新版 東南アジアを知る事典』平凡社、2008
今井昭夫・岩井美佐紀編『現代ベトナムを知るための60章』明石書店、2004
小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史』中央公論新社、1997
桐山昇他編『東南アジアの歴史』有斐閣、2003