ラオス略史⑤

 

 1973年2月、ラオス和平協定が調印され、停戦や外国軍の撤退、暫定国民連合政府の設置などが定められた。

 

 1974年4月、第三次連合政府が発足する。国外脱出を図る王国政府の高官が軍人が増え始めた。

 

 1975年4月17日、カンボジアのプノンペンがクメール・ルージュによって陥落。4月30日、南ヴェトナムのサイゴンが北ヴェトナム軍によって陥落。このことによってラオスの右派勢力は逃げ出し、パテート・ラオが全国で実権を握り始める。

 

 5月には右派勢力に対するデモが多発、官僚や軍人、警官なども辞任し、次々と国外へと脱出した。USAID(アメリカ国際開発庁)ビルが占拠され、USAID職員のラオスからの撤退にアメリカが同意。

 

 6月、パテート・ラオがラオスのほぼ全土を制圧。

 

 12月2日、パテート・ラオが王政の廃止と、ラオス人民民主共和国の樹立を宣言。大統領にはスパーヌウォン、首相にはカイソーンが選出された。

 

 

 

参考文献

スチュアート‐フォックス,マーチン(菊池陽子訳)『ラオス史』めこん、2010

山田紀彦『アジアの基礎知識5 ラオスの基礎知識』めこん、2018

ラオス文化研究所編『ラオス概説』めこん、2015 

 

 

    著書